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エモエモ日記 #28 「あたまとろとろユーチューブ」





夜中に近付くと店内から飛び出してくるカーネル・サンダースじゃん!!!!!!!!!!!!!!






こんばんは、エモエモ日記です。










最近、映画やら小説に集中できなくなっている。




持って、だいたい40分。酷いときは8分くらいで飽きてしまう。完全にユーチューブの弊害。頭がユーチューブサイズのコンテンツしか受け入れられなくなってしまっている。





どうにかならないか...と思って、困りごとはインターネットが解決してくれるので、すぐに検索した。





どうやら100マス計算がいいらしい。一日1回やるだけで、集中力が鍛えられると。


本当か?






とりあえず入れた。やれることはすぐやるのが偉いね。











思ったより結構楽しい。そういえば最近、計算するためだけに頭を使ってなかった気がする。




ほんで繰り上がりの苦手っぷりが出る。




「7+9」とかパッと言われて、

え~~~~っと7+、とりあえず3足して、え~~~~あっ9から3引いたから6で、あー10+6で「16」!!!!!!



よ~~しいいぞ!!!!




「8+5」!!!!????は~~!!!!????





っていうので3秒くらい掛かる。頭がユーチューブなので、読み込みにかなり時間が掛かるのだ!




とりあえず最近、映画を見るときは100マス計算をやってから見るようにしてるんだけど、たぶんちょっとだけ集中できるようになってる。なんとか2時間耐えた。映画を見るのに「耐える」って使うのヤバイな~~




耐えなきゃいけないのは、スマホとか集中を削がれる要因があるからで、その分、観劇は逃げ道がないので楽。始まったら最後まで見るしかない。それでも途中で眠くなったりすると、もうダメだ。





全く飽きが来ない作品に巡り会うと、ありがてぇ~~~~って思う。こないだ見た玉田企画「かえるバード」は、最後の最後まで集中力が途切れなかったので最高だった。こういうの!好き!いや、僕の集中力があればいいだけの話なんだけども...















やべ~~~~~~~~~~~~




















こないだから、「死」について考えている。



死ぬことによって、その人が生きてきた価値がそこで定められるような錯覚に陥ることがある。例えば、死んだときに泣いた人が多いほうが価値ある人間なんだろうか、とか。誰も泣かず、誰も悲しまない「死」を迎えたら、その人に価値は無いんだろうか、とかとか。




いや、悼まれる数と、その人の価値とは全く無関係だ。でなければ、知名度の高さによって人生の価値が決まることになる。確かにその人が残した功績によっては評価されるのかもしれないが、それだけだと歴史に名を残すことだけが生きる意味になってしまう。



そんな悲しい話はない。





著名人がたくさん悼まれているのも、それはそれで見ていてたまに怖くなる。たくさんある悼みの中にはきっと小さな悲しみもあって、むしろ、悲しみすらない悼みもあって。



そういうものを集めたら、寄せ書きみたいになるんじゃないか。引きこもりの子に向けて、クラスの全員で書かせられる寄せ書き。「学校来いよ!」なんて、全員が全員そう思っている?




なんでこんなこと考えていたのか。自分にとっては少し身近な存在の死と、SNSでの追悼とのギャップがなんだか違和感があったからかもしれない。死が急に立体感を持ち始めた。




でもあんまり俯瞰してばっかいると、自分が苦しいとき、どうしていいかわかんなくなっちゃいそうだね。程々にしよう。個人の死は間違いなく苦しいものだから。そんな人のために悼みはあっていいもののはずだ。















































みんな見た~~?







僕は見てないです。



さようなら。

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