東京学生演劇祭2017

「べっぴんさん、1億飛ばして」

【講評】

□篠原久美子氏より

 

 非常に楽しく拝見致しました。台詞が軽妙でテンポよく進行する舞台には推進力がありました。俳優たちのレベルも高く、いわゆる「芝居のツボ」を心得ている集団だと思いました。「ポチの身になりなさい」には爆笑しました。コメディとしてよくできていながら、発想は個性的で、「家族の交換可能性」についてシュールに描けていて秀逸です。また、何気ないことのようですが、姉の心の声を弟が語ることも意味深い「入れ替え」だと思います。

 ブラッシュアップ・ポイントは、作品の着地点にあるかと思います。ラスト前の母の台詞で、「家族の入れ替え」が、母の些細な願望(「バカな子は嫌い」など)に依拠しているような方向性を見せた流れからすれば、(バカな)妹も交換された後、「ま、いいか」に着地する方が、「母の不動とそれ以外の家族の交換可能性」が明確化し、家族をめぐるテーマはより深くなれたと思います。事実、子どもが(成長して)別人になったとき、それを最も認めないのが母親という存在、ということは、ままあることですしね。

 とはいえ、「喜劇のラストがハッピーエンドでないことは観客への裏切り」というピーター・シェーファーの言葉などを思えば、位相をズラして着地を軽くした今回のラストも「あり」かもしれません。この作者の力量でしたら、この着地によって、テーマよりも手法(シュールに位相がずれていく)の方に寄ったことを自覚されたうえで、選ばれたことと思います。

 なお、このラストが「夢落ち」に見えてしまった原因は、暗転の後、倒れた姉が起き上がるというシーンの入り方、もしくはその後の探偵の出し方のさり気なさすぎる登場の仕方のどちらかにあると思います。受け入れた姉の「日常」に、するりと元の弟や探偵が戻ってくるか、「夢落ち」とミス・リードさせたうえで探偵を印象付けて登場させるなど、観客に提供する情報提供の順番を意識して変えてみられることで、「いつの間にか位相がズレた」ことが、より明確に伝えられる工夫を考えられてください。

 

 いずれにしましても、楽しい上演でした。ありがとうございます。

□園田喬し氏(編集者、演劇ライター、演劇雑誌『BITE』編集長)より

 

 劇中のテンポが心地良く、あっと言う間に作品世界へ入ることが出来た。コメディセンスを感じさせる台詞と俳優の愛嬌が相まって、全編に流れる「喜劇の空気」が観客の好奇心を煽る。全く個人的な感想だが、全9作品の中で唯一声を出して笑ったシーンがあった。喜劇の中に潜ませる、毒、不和、悲劇性。一筋縄ではいかぬドラマに今後の可能性を感じさせた。大局を描くのではなく、市井の日常を描こうとする気概も嬉しい。

野間哲氏より

 いつのまにか家族が入れ替わっているという、現代社会の家族関係の希薄さを象徴するような作品。展開の妙味を感じる内容だった。ところが最後に「夢落ち」で終わらせてしまったところが残念だった。できることなら、登場人物全員の役どころが入れ替わってしまうという描き方をし、それでも「ま、いいか」という決め台詞にたどりつければ、相当シュールな作品になったと思う。音響センス、抜群。

□広田淳一氏より

 

 非常にバランス感覚の良い、完成度の高いコメディだった。とても学生が作ったとは思えないような緻密な構成で、演出にも老獪なテクニックとでもいうべきベテランの趣があって、正直その演劇的なうまさには驚かされた。確実に笑いをとっていくコメディセンスも大したものだし、それが単語レベルや単発ギャグのレベルではなくて、あくまで設定と状況の中から生み出された、作品の世界観の中で生じた笑いであった点を特に評価したい。俳優の演技も良かった。なによりキャスティングが適材適所で、それぞれの役に説得力があったように思う。マイケルの存在や、二種類の台詞のみを延々としゃべるニセ兄ちゃんの存在も、実に効果的だった。

 

 ラストに関しては、「なあんだ夢オチか」と思われてしまうのかもしれないが、僕はあのラストも含めて評価したい。というのも、あのラストは単なる夢オチとして、すべての状況がリセットされてしまったわけではないからだ。夢から覚めたあとで、母は探偵を呼んでいる。ということは、「現実」の世界でもなんらかの理由で探偵を呼んだことは事実なわけだ。それは物語の最初の状態とは違う。しかも、ラストで姉は、「これは私の弟なのか?」という疑問を提示している。つまり、この奇想天外な夢を通じて、少なくとも姉の生きる世界はもともと居た世界よりも少しだけ不確実な、ほころびのある世界へと変化しているのだ。そのわずかな(しかし大きな意味を持つ)変化は、40分を費やして語るべき価値のあるものだったと思う。

 

 あまり文句のつけようがないよく出来た作品だったが、あえて言えば、あまりに上手く、芝居づくりに熟練していた手つきは、逆に言えば演劇としての新規性に欠けていたとも言えるだろう。既存の演劇表現を打破していくような野心はあまり感じられず、その点は物足りなかった。おそらく演劇に対して深い造詣をもった作者なのだろうから、この完成度を維持・発展させていく道もすばらしいだろうが、新進の演劇人として既存の価値を転倒させるような衝撃的な作品に挑戦していってほしい。そのぐらいの野心を抱いてもいいような、優れた手腕をすでに手にしていると思うから。