エモエモ日記 #1「魚魚」

最終更新: 2018年10月7日

最近ではぐるぐると一人で考えてしまうことがすっかり癖になっていて、その思考をこうして文字に起こす行為は、汗を流すデトックスと同じような心地よさがある。体に溜まった悪いものを排出しているという意味では同じだからだと思う。

ただ、ぶくぶくと健康に育った自意識に対して一人で向き合うのは心地よくても、それを人に見せる行為、ましてや自団体のブログに載せるという行為は、若干の不安とかなりの恐ろしさがある。下手に隙を見せようものならネットワークを通じて大衆から後ろ指をさされ、石を投げられ、挙句には背中を銛で突かれる可能性まで考えてしまう。実際は見向きもされなかったとしても、可能性がある以上は迂闊に趣味の話もできないし、自信満々に自撮りを載せることなんかもできない。なので、インターネット上に粛々と老廃物を晒すことしかできません。どうかお許しください。こうして許しを乞うているにも関わらず、それでもまだ「これでもくらえ」と比較や差別などの鋭利な突起物で抉られることがあれば、それはもう甘んじて受け入れることにします。その時にはちゃんと「勘弁してください」って言います。


「これでもか~~これでもか~~」

「あっ(笑)すみません(笑)勘弁してください(笑)」

「自意識過剰!自意識過剰!」

「魚魚(ギョギョ)~~~(笑)」


世の中がこうなったらもう終わりだと思っています。




数年前の話。

通学の際、バスの中ではよくラジオを聴いていた。radikoというアプリのタイムフリー機能を使えば深夜のラジオも聞けるので、「星野源のオールナイトニッポン」を聞いていた。当時すごく好きだったリスナー参加型のコーナーがあって(今もやってるかはわからないけど)、その名も「A-1グランプリ」。

「A」とは「喘ぎ声」。つまり、リスナーが録音した喘ぎ声を投稿し、それを星野源がひたすら聞く。そして毎週最高の喘ぎ声を決めようというヤバい企画コーナー。


そんな企画に応募する数百人ものイカれたリスナーたち。老若男女は関係ない。喘ぎ声に規定はないのだ。真面目に喘ぐ者もいれば、かっこよく喘ぐ者、モノマネしながら喘ぐ者、リズミカルに喘ぐ者…。


そしてついに、「声」を一切使わずに喘ぎ声を表現する者たちが現れた。蛇口を捻る音を「喘ぎ声だ」と言い張り投稿した一人のリスナー。聞いてみると、言われてみれば確かに喘ぎ声。もう一度聞くと、もはや喘ぎ声にしか聞こえない。すごい!ここまで来ると芸術と言っても良い。


やがて、そんな卓越した表現力を持つクリエイターが次々に投稿し始める。日常に潜むあらゆる「喘ぎ声っぽい音」を録音し、投稿する一定数のリスナーたち。


ある週に投稿したのは、ビニール袋のガサガサ音を喘ぎ声として表現する投稿者。あまりに喘ぎ声とはかけ離れたそれを喘ぎ声だと言い張ってしまえるその真摯なクリエイティブ精神に感動を覚える僕。いたく感心しながら、通学する僕。やがてバスは学校に着く。


その後、授業を受けていても中もどうしても頭の中で鳴っているビニール袋のガサガサ音。もとい、喘ぎ声。


授業が終わり、下校するときにも鳴っている喘ぎ声。そのとき、耐えきれなくなった。あの音をどうしてももう一度聴きたい。


radikoを起動して、改めて聞いてみる。


ガサガサガサ

ガサガサガサガサガサガサガサ


全然喘ぎ声でもなんでもなくてびっくりした。

っていう話です。終わりです。

ずっとこんな感じですけど大丈夫ですか?