エモエモ日記 #18 「アジアの大学21」



【21】


歳をとることが恐ろしくって、何がって、若くなくなっていくことが。


そういうことを言うと、「その若さで何言ってるんだよ!」と笑われることがある。


でも若くなくなっていくことで失われていくものがある気がしていて、それに気付いていないということに、焦りを感じてしまうんだ。


笑うなよ。大真面目だぞ。


そうやって年上の人を困らせていたら、あるとき、


「歳とる楽しさもあるよ」


と言われた。



そんなことを言われたことをなんとなく今思い出した。


先日、21歳になりました。

21歳に相応しい自分になれているんだろうか?


不安に感じるばかりで、楽しさを感じる余裕はまだ無いかもしれない。


そういえば、池田エライザの握手会に行った時に、


あ、池田エライザの握手会に行ったことがあるんですけど、


その時の会話で。


「あの…僕、演劇やってて」

「そうなんですね!」

「なんか、応援してもらっていいですか」


ってやってて。

なんかきしょいな。

応援を要求するにしても、もうちょっと言い方あるだろうに。

で、返ってきたのが、


「楽しみましょう!」


だった。


きしょいお願いに対して、楽しみましょう、と言われた。


頑張ってください!とかじゃなかったことに驚いた。

演劇を楽しみたい。楽しんでいきたい。


それをなんとなく思い出した。





【痛い痛いね】



喉元過ぎれば熱さを忘れなんとやら。



この世のすべてを憎んでいるような顔をした人が、地下鉄で嘔吐している。

吐瀉物を片付ける駅員さんは、あの人を許すんだろうか。

たとえ酷く憎んでいたとしても、明日には、明後日には、否応にも忘れてしまう。

忘れてしまえば、憎むことも、許すこともできない。


誰かに傷つけられて、被害者面をしている。

その面のまま、街へ飛び出す。

その面のまま、誰かの面を汚す。

誰かの面を汚してもなお、被害者面をしている。


厚かましいと思った。ふてぶてしいと思った。


痛みの数だけ増えるのは脂肪だ。

たるんだ頬を証拠にしても誰の心も動かせない。


必要なものはいつだって具体的な結果だ。

過程の痛みは、どれだけ豊富に語ってもすべて過去だ。



喉元過ぎれば熱さを忘なんとやら。



喉元過ぎればなんたらを忘なんとやら。



なんちゃら過ぎればなんたらをなんとやら。



それでも過去を見捨てずにはいられない。

過去を踏まえて現在に発信することが悪だとも思えない。

痛みで学んでいくことでしか進めないのなら尚更。


過去は恩だ。須く恩でできている。

誰しも。


痛い痛いと泣きじゃくって、深呼吸したら、確かに痛かった自分自身に痛い痛いねと語りかけてあげられるような人間になれればどんなに素敵だろうか。







喉元過ぎればアジアの大学