エモエモ日記 #10 「疑の巨人たち」




裏表の無い人が、なんだか怖い。




物心ついた頃から自分自身の中に当然のようにあったもの、例えば嗜好だとか思想。


当たり前だと思っていても、世の中にはそれを平然と持ち合わせていない人がたくさんいる。





大衆の中に放り込まれたとき、あまりに同じ価値観を持った人間がそこにいないと、疎外感をモロに食らってしまう。




ずっと繰り返していくうち、それは人には容易に見せられない内情になり、端から見れば内情は「裏の顔」と呼ばれてしまう。






裏表が無い人は2つの可能性がある。



一つは、「裏」の顔を上手く隠している可能性。





だが「裏」の顔は隠そうと思って隠しても、ある程度付き合えば自ずと顔を出してしまうものだ。



それを「裏表が無いんだな」と思わせるくらいに徹底した隠しっぷり。



もし本当にそうなら、一体どんな「裏」の顔を持っているのかと気になってしまう。




そこまでして隠したい「裏」があるんだろうか。







想像力が働き、その人のことが徐々に恐ろしくなってくる。










裏表の無い人を見たとき、これは執念と計算を尽くして作りきった「表」の顔なのではないかと疑ってしまうのは悪い癖だ。








そしてもう一つの可能性が、本当に「裏」も「表」も存在しない人だということ。





つまり、人に見せている姿が、嘘偽りのない自分、ありのままであるということ。




気を遣うことを学習しながらここまで生きてきた僕にはなかなか信じきれない。





開示性豊かな人間を見るたび、得体の知れない生物を見ているようで、なんだか怖くなってしまう。



さらに世の中的にはそれが「正しい」とされている風潮があるような気がして、なんだか息苦しい。





さらけ出していこうね。


程よく包み隠していこうね。


包み焼きハンバーグ。



























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この世で最も楽しい食べ物は、ココスの包み焼きハンバーグ


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よく自分の頭の中で、自分と自分が対談をしている。



「ブログ、何書こうか。」


「先週書こうとして断念したやつは?」


「あれは、続きが浮かばないからパス」


「パスか~~~。」


「自意識の話は?」


「自意識の話ばっかしてない?」


「まあ書くことないからね」


「ね~~」




みたいな感じ。


常に頭の中が賑やかなので、ずっと一人でも退屈しないでいられるタイプだ。




だが困ったことに、ここに「疑」が来ることがある。







「昔の友達と久々に会ったけど、話せてよかったな~~」



『でも向こうはそうでもないんじゃない?なんかやけに疲れてなかった?多分どういう顔していいかわかんなかったんじゃないかな?』